タンポポの願い

野に咲くタンポポをご存知ですよね?
タンポポは育つと、綿毛のような種を広げ
風を待ちます。

待っていた風が吹くと
風に乗って種を飛ばします。

タンポポの種が地面に落ちると
周りの元素が集まって
また別のタンポポに育ちます。

タンポポの種が周りの元素を材料にして
種に含まれている情報を実現するのです。

そのタンポポは、生まれることを自分で選択しませんでしたが
一度、生まれたら、精一杯生きて
その種に込められた願いを咲かせます。

私たちは今、自分の中の種に込められた
願いを叶えるために長い旅をしているのです。

大きくて叶えるのが難しい願いがあれば
小さいから簡単に叶えられる願いもあります。

また、叶えるのに適した時を
待たなければならない願いもあります。

完成のための旅

夕暮れ時の空を眺めたことがあるでしょう?
空を赤く染めながら沈む太陽は
明け方に力強く昇る太陽と同じくらい美しいです。

私たちの人生も同じです。
春たけなわに花を咲かせる青年期や
実を結ぶ壮年期と同じくらい
人生を締めくくる老年期にも大きな意味があります。

人生は、生と死の間の旅です。
よく生きることを多くの人が強調しますが
よく死ぬことも大事です。
ウェルビーイングとウェルダイイングは
一つにつながっているのです。

その昔、私たちの祖先は
人生の目的を「イ天化」に置いていました。
イ天化は、天に戻るという意味で
死を通して人生の完成に至り
最終的には根源に戻ることを意味しています。

イ天化の哲学は
人生を眺める心の在り方や態度を真剣にしてくれます。
完成に向かう人生は、すべての瞬間が悟りです。

死も誕生と同じように祝福にするためには
今この瞬間
何を選択し、どう生きるのかが大事です。

イ天化が示す生と死の間の人生は
完成に向かう美しい旅です。

生命の変化

私たちはかつて小さな虫でした。
地球という大きな次元から見ると
微生物のようなものです。

父親の精子と母親の卵子が出会って
新たな生命になるためには
精子も卵子も消えなければなりません。

これを死んだと見るべきでしょうか?
変化したと見るべきでしょうか?
生命の変化と言うべきでしょう。

自然はすべてこのようなものです。
咲いた花が実を結ぶためには
その花は死ななければなりません。
実は死んで種を作り出します。
種も死んで新しい芽が出ます。
このように生命の世界は
常に回り続け、循環しています。

春に、芽生えた若葉は
秋になれば、落ち葉になります。
緑したたる春の若葉だけが美しいのではなく
紅葉した秋の落ち葉も美しいのです。

人間も同じです。
若い時だけが美しいのではなく
歳を重ねても美しいのです。

私たちは死の意味を自然から学ぶことができます。