私は特別な存在だという考え

昔、ある師匠が弟子を呼んで
飴を2つ手渡しながら、こう言いました。
「これはお前だけに特別に与えるものだ」

弟子は感動し、どうしていいか分からないほどでした。
宝物のように恭しく受け取り、
引き出しの中に隠して
誰かに知らやしないかとビクビクしていました。
他の人にとっては、単なる飴2つに過ぎないのに。

翌日、師匠はすべての弟子を呼び集めました。
弟子たちの修業のほどを一人ひとりチェックし
しっかりやりなさいと励ましながら
全員に飴を2つずつ分け与えました。

最初に飴をもらった弟子は、
急に力が抜けて意欲を失い
恥ずかしくて腹が立ちました。

彼は、師匠を恨みました。
自分は特別な存在だという思いを
特別じゃなくしてしまったという理由で。

これが「特別」というものに抱いている
私たちの観念であり、反応の仕方です。

私は特別だという思いの裏に隠れているものは何でしょうか?
注目されたいという思い、認められたいという思いと共に
認められないかもしれないという恐れがあるのです。

千年をつなぐ存在

時々、鏡に映った私の中に
親の姿を見つけて驚きます。
歳を取るほどに似てきたように思います。
似たくないと思っていたことも
そのまま受け継いでいるのを見ると笑ってしまいます。

私は、見た目だけでなく
性格や言葉遣い、些細な習慣まで親に似ています。

個人と集団の関係も同じだと思います。
輝かしい歴史や文化だけでなく
受難のうちに経験した恐怖と挫折の歴史、
感情のDNAで受け継いでいます。

私たちは突然天から降ってきた存在ではありません。
親があり、民族の根本があり
それを共に作って支えてきた数千年の歴史があります。

それらが集まって今、私の肉体と精神をなしているのが分かれば
また、今この瞬間の「生」が
過去と未来をつなぐ大事な歴史であることが分かれば
態度や行動が変わってくるはずです。

私たちは千年をつなぐ
今の時代の大切な歴史なのです。

死は永遠の同伴者 

時々、真剣にこんな質問をする人がいます。

「私はこれからどうなりますか?
悟った方だから分かるんでしょう?」

よくされる質問だから、私の答えも簡単です。

「ええ、未来がとても良く見えます。
あなたはいつか死にます」

死は生命の永遠の同伴者です。
死があるから、私たちは「生」に対して謙虚になれます。

死が手招きしたり
それを目撃したり
私を見守っているような感じがふっとするだけでも
狭いうぬぼれの川はつぶれます。

時には死が生きる勇気を与えてくれます。
どのみち死ぬなら
恐れおののきながら生きる必要がないからです。
思い切って古いやり方を捨て、
自由にチャレンジしながら生きていく勇気は
生と死に対する深い洞察からきます。

つまり、死は
天が人間に与えた公平な祝福なのです。